2015年度、第一回目のエコールでした。
寒い中、足をお運びくださる皆様と一緒に、興味深い発表者のお話を聞きながらスタートを切れまして、スタッフ一同たいへん喜ばしく感じております。2015年度もまた、よろしくお願いいたします。



さて1月は宮部さんと田川さんによる、情報システムとバレエという全く異なる分野の発表でした。
そのご報告です。


人を手助けする情報システム

―完璧ではない情報技術をいかに有効活用するのか―

宮部 真衣

京都大学 学際融合教育研究推進センター 研究員

 

宮部真衣さんは、情報システムという分野について研究されています。

何をするかといいますと、コンピュータを使って情報を加工して有効活用する、というのが基本だそうです。コンピュータなどを使い人と人とを取り持つようなシステムを開発します。身近なところで私たちの活用しているのが、e-mailや銀行のシステム、あるいはインターネット、電車を予約するなどのシステムです。宮部さんは元々、システム工学系の大学院に行っておられ、現在は人間とコンピュータのインタラクションにより、主に医療や災害時の分野で活用が期待されるようなシステムを開発されています。例えば医療の補助ですとか、災害時の支援を補助するようなシステムです。

コンピュータは、物理的に構成しているハードウェア、操作の制御をするためのプログラムがソフトウェアから成ります。このソフトウェアにもオペレーションソフトウェアとアプリケーションソフトウェアがありますが、宮部さんはこの後者、アプリケーションソフトウェアの開発に携わっておられます。

宮部さんは、開発されたアプリケーションのいくつかを紹介してくださいましたが、その一つがM³(エムキューブ)という病院での多言語対話支援です。病院で対応を受ける際、言葉が通じなくて困ることがあります。様々な言語の通訳者を常駐するわけにもいきませんが(人材不足、人件費の面においても現実的ではありません。)、命を扱う場として、意思の疎通ができないというのも大きな問題です。アレルギーを持っている人に間違った処方箋を出すというようなことがあってはなりません。ですが、病院を訪れる人の目的は多様ですし(受付でされるもっとも多い質問の一つに、道を尋ねるというのがあったそうです!)、それに対応できるだけのシステムとなってなくてはなりません。また、患者側のニーズに応えるだけでなく、実際に病院に設置できるような機械でもなくてはなり ません(当初は二台で考えていたそうですが、病院側から二台も置くスペースはない、といわれたそうです)。話を伺うにつれ、自動翻訳機能というだけでなく、様々な観点やニーズからシステムを構築していかなくてはならないのだとどんどん気付かされていき、非常に興味深かったです。

また、今現在宮部さんの開発されているシステムで災害発生時のデマ情報の拡散を防止するシステム、流言情報クラウドというのも非常に興味深かったです。このシステムの開発のきっかけとなったのは東日本大震災だったそうです。当時、様々な情報が錯綜し何が正しくて何がデマなのかわからなくなってしまった、という感覚は未だに多くの人がよく覚えているのではないでしょうか。宮部さんは、こうした災害時、死活問題ともなる情報の真偽を確認できるような方法はないのかと考えられたそうです。情報が錯綜する主たる原因は、ソーシャルメディアという情報の拡散が手軽な場所での(誰もが発信できる場)、手軽さゆえのソースの確認がなされない状態でのリツイートやシェアでした 。つまり、善意での情報発信が流言の拡散に繋がってしまっているのです。そこで、その情報がデマかもしれないということを知らせてくれるようシステムが今現在開発されています。こうした情報の真偽の精査、訂正は人間の手によって一つ一つ行うには膨大すぎます。そこで、デマであるかもしれない情報を収集し、それを人々に知らせることのできるようなシステムを今作っておられます。この開発は現在進行形で、これからどんどん活用の方法や場を増やしていくと考えられます。

宮部さんの仰っていた言葉で印象的だったのが、コンピュータと人間との違いでした。コンピュータは人間より格段に高速で莫大な情報処理を行う能力を持っているが、人間のように考えて行動することができない、という所でした。つまりプログラミングされたこと以外には対応できない、ということです。きっと、AIなどでこうした「発展型」のシステムもいろいろと開発されているのだと思います(つい最近、東大受験と合格を目指すロボットをテレビの紹介で見たところです)。こういったSF映画のような世界が現実味を帯びてくる中で、人間の限界と機械の限界が、そしてそれぞれの境界があいまいになってきているのではないかと感じることがあります。こうした社会において、改めてそういったロボットもあくまで人間によるプログラミングが前提にあるのだということを再認識しました。そして人間の頭脳では急速に対処できない情報処理能力、あるいは人員の不足などを補うことによって私たちの災害時や困難時に手助けとなってくれる技術なのです。その恩恵に改めて気づかされたお話でした。

 

バレエにおける古典の再解釈

―より深い人間性の表現を求めて―

田川 千尋

元 京都大学高等教育研究開発推進センター特定助教

現 大阪大学未来戦略機構第5部門 特任助教

 

田川千尋さんはバレエの古典作品とその再解釈について話してくださり、今まで感じていたのとは違うバレエの面白さを教えていただきました。ご自身もバレエをずっと続けておられることから、お話の端々からバレエという芸術に対する愛が感じられました。

さて、いわゆるバレエの確立はルイ十四世の時代に遡るそうです。王の舞踏教師ル・ボーシャンが、ポジショニング(足の置き方の一番、二番、三番、など)やエポールマンという肩の姿勢を決めたそうです。一九世紀、フランスでは下火になっていましたが、今度はロシアでマリウス・プティパによって再び流行します。チャイコフスキーの音楽に振付し、「古典」とされる作品を世に出したのです。その後、セルゲイ・ディアギレフが20世紀の初頭にロシアバレエ団を引き連れてヨーロッパを巡回したことにより、ヨーロッパ中にバレエ・リュッス(Ballets Russes)旋風が巻きおこります。

彼らが振り付けた作品は、今では「古典」と呼ばれていますが、では、それに対してコンテンポラリーと呼ばれる現代の作品とはどのようなものなのでしょうか。古典作品には(他愛のないものであるとはいえ)物語があるのですが、コンテンポラリー作品の特徴は抽象的であるということです。そのことは、田川さんが紹介してくださった二十世紀の前衛的な振付師ジョージ・バランシンの「ダンサーは音符」という言葉からもうかがえます。たとえば、彼の作品『Jewels』の「第三幕(ダイヤモンド)」の一部は、「眠りの森の美女」の一部を引用することでプティパ作品へのオマージュとなっています。しかし、ダンサーは物語のストーリーテラーになるのではなく、音そのものの体現することによって古典作品を再解釈することを試みたのです。その作品の一部を見せてもらったのですが、たとえ物語がなくても、作品として完成していて、目を奪われるような美しさを感じるのでした。ここで私が想起したのは、パウル・クレーなどの画家たちです。彼らは、音楽をキャンパスに描こうとしていました。このように、音楽の可視化は、二十世紀の芸術において大きなテーマだったのですが、バレエもまた音を身体で表現することを目指したのだとしりました。
さらに田川さんは、技術面からもコンテンポラリーバレエに見られる古典の再解釈と、その面白さを紐解いてくださいました。例えば、古典的な作品ではバレリーナは「ポワント」という爪先立ちをしています。これは、妖精のように軽やかな踊りを表現しているそうなのですが、コンテンポラリーの作品では「ア・テール」といい、爪先立ちをせず地に足をつけた状態で踊ります。つまり女性はポワントをぬぎ、妖精的な表現から脱して、人間性の表現の追求へと移行したということです。重力に逆らうのが古典だとした場合、地に這うような動きへと移行したということが言えます。


次に見せていただいたのは、マッツ・エックという振付家の作品。もともと演劇畑の人らしく、バレエに転向したのは26歳からだったそうです。彼は「動作は言語である」と考えていたようで、必ずしも美的なものでもなければ、装飾でもないと捉えていたそうです。ですから、彼の作品を見ると、形式的には古典を踏襲していますが(『ジゼル』の再解釈)、その表現手法(舞台装飾やダンサーの身体表現)は全く異なります。田川さんはこうした古典の再解釈を通して、どちらかというと理解しにくいと思われがちなコンテンポラリー・バレエの面白さを話してくださいました。

一つ目の発表の時、医療における自動翻訳システムの構築のお話を伺ながら、コンピュータの技術的な開発の難しさに加え、言語を別の文化背景をもつ言語に翻訳する、という難しさも宮部さんの開発するシステムの困難に含まれるのだろうか、ということに思いを巡らせていました。すると、全くジャンルの異なるバレエでも、身体言語という観点が出てきており、今回は「言語」そのものについて色々と考えさせられる会となりました。


本日のケーキは苺のショートケーキ。紹介の際にパティシエの方は「シンプルに」と形容されていましたが、とっても手の込んだ綺麗なケーキでした。そして準備中にはTouzan Barいっぱいに苺の香りが広がっていました!