各地で雨風が強い日が続きます。梅雨の真っただ中ですが、先週末、梅雨の晴れ間に6月のエコール・ド・東山を終了いたしました。ブログの後半に報告を掲載しています。
7月の予約も受け付け中です。残席わずかですので、ご予約はお早目に!!
内容は次のとおりです。

今を生きる掛け合い歌
梶丸 岳
京都大学 博士(人間・環境学)
京都市立芸術大学 日本伝統音楽研究センター 特別研究員

決まったふしに即興で歌詞をつけて歌う「掛け合い歌」は、日本を含む世界各地にみられます。かつてこの芸能は日本古代の歌垣の遺風として捉えられてきましたが、フィールド調査から、これとはかなり違う姿が見えてきました。中国や日本における掛け合い歌を事例に、この芸能を「伝統芸能」と「遊び」という観点から再考していきます。

「人生の意味」への問いを生むこころ
浦田 悠
京都大学 博士(教育学)
大阪大学 教育学習支援センター 特任講師

「人生の意味は何か?」という問いは、人類にとって永遠のテーマであると言えるでしょう。最近、哲学や心理学の中で、人生の意味の概念を改めて学際的に捉え直そうとする潮流が生まれてきています。人は、この実存的な問いを、なぜ・どのように問い、そして答えるのか。今回の発表では、ワークも交えながら、人生の意味についてみなさんと一緒に考えてみたいと思います。

開催日: 2015年7月11日土曜日 14:00~16:00(開場13:30)
開催場所: ハイアット リージェンシー 京都 地下1階Touzanバー
〒605-0941 京都府京都市東山区三十三間堂廻り644番地2
http://kyoto.regency.hyatt.jp/ja/hotel/our-hotel/map-and-directions.html

ご予約:
各回定員20名 参加料3000円(茶菓子付)
お申込みは、メールまたは電話にてお願いいたします。
電話番号: 090-6662-0360
定員になり次第、受付を終了させていただきます。

第28回(2015年6月13日)の報告

第二十八回、六月の最初のスピーカーは、アンドレア・フロレス・ウルシマさんでした。現在、京都大学地域研究総合情報センターの研究員をされており、都市環境史、地域空間論がご専門です。

今回は特に、1970年に開催された日本万国博覧会の会場計画を紐解きながら、当時の日本が未来都市をどのように捉えていたのかをお話しくださいました。

 

まずは自己紹介がてら、ブラジル人のアンドレアさんが、どうして来日することとなったのか、です。彼女は、サンパウロ大学の建築・都市計画学部を卒業しました。そこに在籍していた頃、韓国の都市計画のコンペティションで受賞したことがきっかけで、ソウルに来ることがありました。アンドレアさんにとって初めてのアジア訪問でした。ブラジルにいる時は、あまりに遠いアジアの情報が入ってくることは少なかったそうです。入ってきても、日本のものがほとんどで(ブラジルには、日本国外最大の日系人コミュニティがあります!)、アンドレアさんの中では日本と韓国もおおよそ同じようなものなのではないかと考えていたそうです。アンドレアさんは祖父が日本人の日系三世ですが、祖父は1930年代に移民しました。アンドレアさんのイメージする日本(とアジア)は、お祖父ちゃんから伝え聞かされた戦前の日本のままでした。しかしソウルに着いてみますと、想像と全く異なる、カラフルな近代都市でした。アジアの新しい一面を発見すると同時に、ブラジルの大都市にも似ていることに興味を持ち、普段ブラジルで触れることのないアジアの都市をもっと知りたいと思うようになったそうです。

このようにして来日されたのですが、日本に来て研究テーマに据えたのは、60年代からの日本の都市計画でした。この時期は、都市レベル、景観レベルでも日本は大きな変革の時代を迎えていました。60年代の日本は「アーバントランジッション」が起こった時期、つまり人口の50%が都市に住んでいる状態になった時期だそうです。都市に人口が集中しますと、当然インフラの整備が必要になってきます(例えば、福島も何もなかった大地に計画的に都市が建設されたのが67年頃からだそうです)。このように都市の肥大化に伴い、「メガロポリス」という、都市と都市が繋がってできる巨大な都市ができてきます。そして、都市問題も顕著になってきますので、どのような都市を作ればいいのか、という議論が積極的になされた時期でした。こうした議論には、建築家、都市計画家はもちろん、政治家や社会学者など多くの人々が参加しました。

こうした議論の中で出された一つの提案が、ニュータウンをつくる、というものでした。有名なところでは、千里ニュータウンがあります。村のような、ぽつぽつと民家があった所に、1160haという広大な土地を開拓し、37000戸も収容できる街を作りました。千里ニュータウンは万博会場からほど遠くありませんが、このニュータウンを作ってから、それらのすでに大部分整えられているインフラ整備を利用して建設しよう考えられたそうです。

大きな都市を作る(大阪府は1963年、京都市は1960年)だけでなく、国際イベントが開催されたのもこの時期です。大阪万博以外にも、1963年には東京オリンピックが開催されました。こうした事業に政府は大きな関心を示し、巨額の予算も割きました。しかし、当時こうした大きな祭典に重きを置いていたのは政府だけではなく、事業家や学者も「大きな都市」をつくることに尽力しました。そこで未来都市のモデルが活発に議論されたのでした。

そうした議論の中で、アンドレアさんが着目したのは万博の都市モデルでした。今日見られる最終形態になるまでには、いくつもの計画が段階的に提案されていました。計画自体は1965年に始まったとされていますが、実は最初の話し合いが持たれたのは1963年でした。この大阪万博の計画を取り上げるとき、必ず東京大学の丹下という建築家を中心に話されます。しかし少し掘り下げていきますと、丹下の最終案に辿り着くまでに、様々な案が出されていたことがわかったそうです。そして最初の段階に、京都大学の先生たちも深くかかわっていたことを突き止めました。どのような人たちが関わっていたかといいますと、西山夘三という建築学科の教授を中心に、主にもう一人、上田篤という建築家でした。それでは、京都大学の先生たちはどのような未来を想像していたのか考えよう。アンドレアさんは直接、上田先生から当時のヴィジョンを伺いました。第一思案から最終的な形態(東京大学の丹下の指揮のもと製作)まで数多くの変化がありましたが、変わらなかったものもあったそうです。それが、シンボルゾーンとお祭り広場の作製でした。そして、これは元々京都大学のグループの提案したコンセプトでした。京都大学のグループの核であった西山にとって未来都市には幾つかの大事なコンポネントがありました。一つは、都心部(万博ならその万博ゾーン)にシンボルゾーンがある、ということでした。インフラ、文化などの管理が集中する都心に、人々の集まれる「お祭り広場」をつくることの重要性を西山は、万博に直接まつわらない論文でも述べているそうです。また、アンドレさんはダイアグラムから、西山の想像する都市の構造を図解してくれました。都市の中心部であるコアと、その横を縦断する側道があります。この側道は、都心には直接入らず、高速の乗り物が通ります。ここでの時間とコア(都心)では時間の速さが異なります。このコアと側道を繋げてくれるコーディネーターとなる部分も重要です。西山はこうした都市構造を念頭に、どのようにしたら快適な万博の空間を造れるのか考えていました。アンドレアさんは、実際に出された提案と西山の論文を突き合わせて検証しています。西山は若いころ、西洋モダニズムの影響を受けた空間構想をしていました。しかし、40年代に入ると疑問も出てきました。というのも、当時は大規模な都市の構想を練り、それをもとに大都市がどんどんつくられていましたが、昔の人々は格別そのような計画を立てるもなく村や村落をつくっていたのではないだろうか、と考えるようになったからです。そこで、自発的な生活空間を調査しながら、日本の空間構想の特徴を模索していきます。例えば、「イエポリス」という考えを提唱しました。それは、日本の家は靴を脱いで入りますが、それに倣い、都心部に入るときは車を置いて入ろう、というような考え方でした。これは、様々な理由から(交通渋滞の軽減、エコロジー的配慮など)、都市内で車の数を規制しようとする今日の風潮にぴったりなような気がします。そうして、こうした考えを実践しようとした痕跡が、万博の試案から読み取られるのです。

このように共同体の生活空間に少なからぬ関心を示していた西山夘三ですが、彼は建築物の研究者としては有名ですが、都市や環境を考えた人としてはあまり研究されていません。新国立競技場の建設が問題沙汰となっている今、このように過去の未来都市像と今日の私たちの実際の生活空間とを比較し、見つめ直すことから学べることは多いのではないかと考えさせられた発表でした。

 


二つ目の発表です。発表者は、京都大学で情報学研究科知能情報学の博士課程に在籍されています、則のぞみさんでした。
 知能情報学…!アンドレアさんご発表の大阪エキスポのテーマではありませんが、なんだか近未来的な雰囲気ですが、こちら、ものすごくざっくりと紹介しますと、人工知能などの研究で、「人はココロを作ることができるのか?」という問いから始まり、「人は人をつくれるのか?」という、5月のドイツ文学専攻の中岡さんによる、ゴーレムについての発表と、とても通じる研究なのでした。

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 エコール・ド・東山の数々の発表を聞いて改めて気付かされるのが、一般的に理系文系と分化されがちな研究は、突き詰めると「ひと」の存在について、様々な方向から懸命にアプローチしていくという意味でとても親しいということです。一面的な方法では、決して解決は出来ないこの問いは、多角的なアプローチがあってはじめて言及し得ることができるのでは…と、改めて感じさせられます。そういえば最近、人文科学部は国立大学から廃止せよとの提案がなされました。これまでの研究者の方たちの発表を聞いてきた者のとても個人的な感想ですが、このような法案が万が一でもまかり通るならば、先人たちがせっかくバランスをとって培ってきた、大切な人間性の根本の、大きな後退となってしまうのではと思わずにはいられません。
 少し脱線してしまいましたが、そういえば、1月に発表してくださった情報システム研究者の宮部さんが、「コンピュータは人間より格段に高速で莫大な情報処理を行う能力を持っているが、人間のように考えて行動することができない」と仰っていました。一般的にコンピュータと呼ばれている、この「計算機」の起源が、そもそもアリストテレスの論理学=存在論にまで遡れるとは驚きです…!計算によって世の事柄を説明しようというのが、この論理学の根本なのです。そして、この理論を現実のものとして、「コンピュータ」という形としたのが、今日本でも上映中の映画にもなったチューリングという学者でした。こちらに、映画のリンクを貼っておきます→(http://imitationgame.gaga.ne.jp
 則さんの研究は、まさにこの人とコンピュータの間を、その計算という技術自身で補完してゆくことによって、「人として考えるとはどういうことか」、「人として行動するといくことはどういうことか」を追求することにあるのだそうです。これは、則さんや前述の宮部さんがおっしゃっていた「フレーム問題」とも関わっているように思えました。人間はどこまでを限界にするかを自分で判断する能力を持っています。しかし、機械はこれが出来ない。
 則さんらの研究は、なんと、機械にもこの能力を獲得させようという試みです。莫大なデータ=ビッグデータと、それを計算する能力を武器に、それまでは信頼性に足りないと思われていた雑音のようなデータさえ、莫大な量を扱うことによって信頼度を高める統計的な視点を導入することで利用可能となるのです。まるで、「人」の子供が日々、ものすごい勢いで世の中を学んで行くように…。

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 この技術の精度がどんどん上がれば、今まで知り得なかったことが知ることができるようになるかもしれません。というか、確実にそうなりつつあります。たとえば、膨大な数のゲノムの解析などで、遺伝情報は着実に解明されつつあります。これを元に自分の未来がある程度予測できる可能性が出てきました。知り得なかったことを技術の進歩によって知った時、人は、一体どう変わってしまうのでしょうか…?
 そして、何より、機械が判断をくだすことが可能になったとして、その機械の間違いは、一体だれが責任を持つことになるのでしょうか…?
 機械と技術の進化は、人間のあり方を変化させることになりそうです。そして、機械と人間の関係も変化し、それに伴って人間の生きる概念も変化するでしょう。そして人と機械が共生することは何を意味するのか?という問いが、とても近しい問題となってくるでしょう。
 このように、則さんの研究は、「人工知能」の研究であり、それは究極には「人とはなにかの理解」につながるものであるのでした。
 自らの存在が、科学という「道具」だったものの進歩によって、却って揺るがされることになり、それによって改めて自らの存在を顧みる。人とは、なんだか因果な存在だなぁと思いながらも、そのような、ちょっと恐ろしい問いに真正面に向き合って行こうとされている則さんに、とてもたくましいものを感じていました。そして、改めて、その科学を享受しようとする際に、人はどうしても、倫理的精神的な問題に向き合わざるを得なくなることにも、改めて気付かされた気がしました。

今月のケーキ

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いつもエコール・ド・東山のケーキを先輩シェフとともに用意してくださっている渋谷南さん。4月に開催された第12回ヌーベル・パティスリー・ジャポンのマジパン部門で「金賞」に輝きました。「春のぬくもり」と名付けられたかわいらしい作品です。

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今月のお花

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新緑のお庭

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