2014年10月

11月の会は、おかげさまで満席となりました。ご予約いただいた皆様、本当にありがとうございます。というわけで、12月の会、ご予約受付を開始いたします。定員は20名様です。ご予約はお早めに!  

22 201412月13(土)14:0016:00(開場13:30

プロソポン――古代ギリシア文献における「顔」

佐藤 真理恵

京都大学大学院 人間・環境学研究科 博士課程指導認定退学

京都教育大学非常勤講師

プロソポンなる古典ギリシア語は、「顔」という意味の他にも、それとは相反するようにみえる「仮面」や「役柄」、「人格」などの語義を内包する多義的な語です。これらの多様な意味から、ラテン語のペルソナや英語のパーソンなども派生してきました。ではなぜ、相矛盾するような語義が、古代においてプロソポンという語のなかで共存しえたか、その理由を考察します。

 

ブータンにおける予防医学

坂本 龍太

京都大学白眉センター 特定助教

クズザンポーラ!(こんにちは!)私は、ヒマラヤ山麓にあるブータンで、この国に暮らす人々と共に予防医学の活動を行っています。家が山々に散在し、病院へのアクセスが困難な地域で、彼ら自身の力で、どうやったら健康を維持していけるのかを模索しています。今回は、健康診断を中心とした今までの取り組みを発表します。

 
[今後の開催予定]

第23回 2015  110日(土)14:0016:00

・医療の場での情報処理システム開発 ・バレエ

24 2015  214日(土)14:0016:00

・文化人類学(音楽) ・イタリア現代芸術

25 2015  314日(土)14:0016:00

   ・中世イタリア築城術 ・フランス哲学入門

開催場所: ハイアット リージェンシー 京都 地下1Touzanバー

605-0941 京都府京都市東山区三十三間堂廻り644番地2
http://kyoto.regency.hyatt.jp/ja/hotel/our-hotel/map-and-directions.html
ご予約:
各回定員20名 参加料3000円(茶菓子付)
お申込みは、メールまたは電話にてお願いいたします。
電話番号: 090-6662-0360
定員になり次第、受付を終了させていただきます。
どうぞお早目のご予約を!
ecoledetouzan@hotmail.co.jp

夏休み明け第三期の初回となりますエコール・ド・東山 第20回を終了いたしました。たくさんのお客様にお越しいただいて、本当にありがとうございました。発表についての報告は、後半をご覧ください。

第21回のお席も、おかげさまで満席となりました。ご予約いただいたみなさま、ありがとうございます。秋の京都で、お目にかかれますことを楽しみにしております。また、12月の会は13日(土)の予定です。詳細は、近日中にお知らせいたします。  

21 2014118(土)14:0016:00(開場13:30

(らい) 山陽(さんよう)と応接の芸術

島村 幸忠
京都大学大学院 人間・環境学研究科 博士後期課程
京都造形芸術大学 通信教育部 非常勤講師
一般財団法人 煎茶道三癸亭賣茶流

江戸は化政期、所謂(いわゆる)「茶の湯」とは異なるお茶の文化「煎茶」が一つの隆盛を極めました。ブームの主な担い手は、京阪を中心に活躍していた文人たちでした。なぜ彼ら文人たちは「煎茶」に魅了されたのでしょうか? 『日本外史』で有名な文人・頼山陽を中心に考えていきます。


酸化ストレスとアレルギー

孫 安生

京都大学工学研究科 物質エネルギー化学専攻

励起物質化学分野 特定研究員

花粉症に代表されるアレルギー疾患。その詳細なメカニズムはまだ不明な点が多く、決定的な根治療法は確立されていません。今回は、酸化ストレス――反応性の高い酸素が引き起こす作用――によって誘導されるいくつかのタンパク質が、アレルギー発症および抑制にどのように関与しているか分子生物学的にアプローチします。

 
[今後の開催予定]

22 20141213日(土)14:0016:00

23 2015  110日(土)14:0016:00 
開催場所: ハイアット リージェンシー 京都 地下1Touzanバー
605-0941 京都府京都市東山区三十三間堂廻り644番地2
http://kyoto.regency.hyatt.jp/ja/hotel/our-hotel/map-and-directions.html
ご予約:
各回定員20名 参加料3000円(茶菓子付)
お申込みは、メールまたは電話にてお願いいたします。
電話番号: 090-6662-0360
定員になり次第、受付を終了させていただきます。
どうぞお早目のご予約を!ecoledetouzan@hotmail.co.jp
◇◆◇◆第20 201410月11日 報告◆◇◆◇

1013日はエコール・ド・東山、20回目の開催となり、第三期に突入いたしました。

皆さまのお力添えで成り立っているエコール、これからも、これまで以上にご期待に沿えるような会にするため、スタッフ一同邁進していきたいと思います。

エコールはでは普段から、必ずしも分野の重ならない発表者お二人にお話しいただくことで、そこから生じる化学反応的なものを楽しんできておりましたが、さて今回もまた、ずいぶんと異なる分野ふたつのお話でした。カーボヴェルデの文化と日本の看取りの文化。全く重ならないようで、それでも聞いていると考えが交錯するので不思議です。 


大西洋の郷愁を奏でるクレオール音楽

青木 敬

一人目の発表者は、アジア・アフリカ研究科に所属する青木敬さんでした。カーボヴェルデの音楽について、ご専門の文化人類学的観点を交えて話してくださいました。

そもそも「カーボヴェルデ」とは?というところから説明を始めなといけないほど日本では馴染みのない、10の島々からなる小さな国です。この国の知名度に圧倒的に貢献しているのが特有の音楽で、島々によっても特色が違うそうです。よくもまぁ、あのような小さな範囲でそこまでも異なる文化を作り上げていけるものだと、正直驚いてしまいました。そこでみられる白人文化と黒人文化が混ざり合い創り上げられた文化のことを総称して、クレオール文化といいます。

馴染みのない国ですが、音楽の話に入る前に、青木さんが実際に島を訪れた時の写真をもとに、服装や食事文化などの話をしてくださいました。ヨーロッパで食べるような北アフリカのクスクスとは違う甘いクスクスや、焼きバナナ、40度ぐらいあるサトウキビからできる蒸留酒やポンチ。男性の帽子、シャツにズボンという完全な西洋スタイルとは違って、アフリカ的に大きな布を纏うワンピース姿の女性…こうしたお話のおかげで、一気に興味が強まりました。

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カーボヴェルデの文化的特徴は大きく北側と南側に分けられ、南側はアフリカ要素が強く、北側はブラジルの影響が強いそうです。歴史的にカーボヴェルデは、中南米に送る、西アフリカから連れてこられた奴隷の一時収容所として開発・発展しました(そこで「教育」を施し、より高値で売ったそうです)。そのため、アフリカからブラジルへの影響(あるいは伝承)という構図はある意味とても自然に思われたのですが、ブラジルからアフリカ(この場合はカーボヴェルデ)へという逆方向への影響・伝承が、一つの文化的な特色となるほど強くなることがあり得るのだろうか、ということでした。

発表後の茶話会でお話によりますと、ブラジルに連れていかれた奴隷たちが自由の身になった時、「故郷」として多くカーボヴェルデに戻ってきたそうです。そのことを聞いて、その中にはきっと400年にも渡る奴隷制のなかで実際にカーボヴェルデに何世代も根を下ろしてきた者の帰国もある一方で、一つの地方出身の奴隷が一か所に集まらないようにしたという政策があった歴史 的背景もあって、自分のルーツを辿れない者も多くいたのではないか、と想像していました。また、1930年代以降ジャマイカで《back to Africa》という思想が高まるなか、エチオピアという「祖国」に「戻った」ラスタファリアンのことも思い出されました。

カーボヴェルデ独自のクレオール文化のなかで、最も顕著なのが音楽文化なのだそうです。いくつかの音楽を聞かせていただきましたが、リズミカルで、でもどこか悲しいようなものが多かったように思われます。なにより、日本の漁師の影響を受け作られた「Sayko Dayo」という曲にはとても驚かされ、笑わされました。カーボヴェルデは従来無人島で、そこに白人と黒人が同時期に入植し、文化を形成していきます。別の土地で長い年月をかけて形成されてきた様々な文化が持ち込まれ融合されたのは、先住民の文化がない白紙の地であったからこその結果なのでしょう。このように形成の時点で、多様性を前提に成り立つ国というのは非常に珍しく興味深かったです。そこで、どのように新しい文化に生まれ変わるのか、あるいはどのようにルーツが守られ継承されていくのか、興味は尽きません。

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「看取りの文化」について考える

――がんの家族を看取った人たちの体験談を踏まえて――

井藤 美由紀

次は、看取りの文化についての発表でした。井藤さんは、日本における臨終の迎え方の変容と、その変化の安易な受け入れに対する警鐘を鳴らすようなお話をしてくださいました。実際に看取る人々、亡くなる方、そして介護の現状にはそれぞれ大きな意識のかい離を丁寧に説明していただき、私たち全ての人生について回る「死」とどうやって向き合うかを改めて考えさせてくれるお話でした。

死はすべての人々に平等に訪れますが、「看取る」という経験に関しては、個々人で千差万別、文化や国によっても風習が異なります。様々な文化圏の看取りに対する意識の違いを、家族の最期を介護した人々を対象に行われた、ハワイでの調査結果を一例に挙げて説明されました。欧米の方々は介護をストレスフルなもの、日本人や中国人の多くは、大変ではあるが、それを口にしてはいけない、と思っているそうです。一方、ハワイの人々は、特になんとも思わない、という意見が多かったそうです。これはハワイ在住の人々の意識調査ですが、この結果には多分にそれぞれのコミュニティの影響が窺えます。

この検査結果から、「宗教的態度は受け継がれているものの、死への態度というのは受け継がれていない」という一つの結論が導き出されました。例えば儀式的な、あるいは形式的な面においては前の世代から脈々と続く方法は踏襲されているものの、実生活で私たちが「死」というものを身近に経験する機会の減少と、死のタブー化が進んでいるというのです。

それでは今後の日本の「看取り」事情はどうなるのでしょうか?

治る見込みがない場合、どこで最期を迎えたいかという調査に対し、癌患者の過半数が自宅で臨終を迎えることを希望しています。しかし同時に、希望はしているが、負担がかかるので無理だろうと思っている方がその大半でした。このことから、日本でも臨終の介護をストレスフルだと捉える、西欧化が進んでいるのではないか、と井藤さんは推測されています。

しかし介護を行った家族の意識調査では、過半数が迷惑だとは捉えていません。介護される側とする側の意識に、ズレが生じていることがわかります。当然、初めて死に直面する人と、幾度も体験した人の反応は異なりました。初めての人からは、ストレスフルという感想よりは、亡くなった方を惜しむ言葉が聞かれたのに対し、既に何人も看取られた方は、ストレスフルといわざるを得ないような状況を潜り抜けつつも、これからも何かあれば家族のためなら頑張る、と答えられたのだそうです。

興味深いのは、これらの人々が、自身が亡くなるときは「家族に迷惑がかかるので、病院で良い」と考えていることです。それなのに、なぜまた何か家族にあれば介護をすると言うのでしょうか。そこには「なにか」あるはずというのが井藤さんの見解です。

日本は核家族化が進んでいますが、世界的に見るとまだまだ大家族です。また介護を引き受けるという人たちの中には、小学生などの子供がいる家庭で、弱っていく祖父母を看病するのは家族の務めだと教えておきたい、などといった理由も見受けられるのだそうです。こうした理由からは、社会的にどのように見られるかといった世間体を気にするだけではない動機を汲み取れます。中には井藤さんの「辛い経験だった」という前提それ自体を否定される方もおられたそうなのですが、その方々は幼いころに近しい人の死を経験し、直接「死への態度」というものを受け継いだような方々だったということです。

日本人は、葬儀や法要などを通して死者と長々と付き合っていきます。心の中に縁の深い人々を宿し、その人々を意識しながら生きるあり方が、近年、配偶者以外には迷惑をかけられないという意識とうまく折り合っていないのが現状ではないでしょうか。日本にも、子供は親の介護をしなくてもよいという意識は広まりつつあり、高齢者介護そのものが、家族機能の範疇から外されつつあります。しかし、先ほどの意識調査にもあったように、家族の大半は介護を迷惑と捉えていません。井藤さんは、この事実を認識し、「死」とどういった折り合いをつけるのかを、後世に伝えていくという観点から今一度見つめ直してほしい、と締め括られました。

長文のブログになってしまいましたが、カーボヴェルデの多様性からなる文化・音楽、日本の看取りの文化、全く異なるテーマに思えていたのに、自国の文化とはなにか、脈々と継承されている文化を守るとはどういったことなのか、深く考えさせられる会になりました。
[今月のケーキ]
栗と和三盆のロールケーキ

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[今月のお花]
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