雨の少ない梅雨ですね。今日は、とてもすずしいです。
さて、次回エコール・ド・東山は、7月の京都、祇園祭の山鉾曳き始めの日、7月12日に開催します。二年目のしめくくり となるのは、その昔、イタリアの広場や教会の中で演じられた聖史劇について、そして、ブラジルの日系芸術家についてです。みなさまのお越しをお待ちしています。すでにたくさんのご予約をいただいております。ありがとうございます!後半は、6月の回の報告です。
はるか遠くの日本人―日系ブラジル芸術の開化―
都留 恵美里
京都大学大学院 人間・環境学研究科 博士後期課程
地球の裏側、日本から最も遠いところに位置するブラジルに、国外で最大級の日系人コミュニティがあります。そこからは、ブラジルの芸術史に影響を与え、名を残すような芸術家も現れました。今回は日系人芸術家の存在が広く知られはじめる50年代末に台頭する、トミエ・オオタケやマナブ・マベなどを中心に お話します。
奇跡と外連 ―聖史劇というスペクタクル―
杉山 博昭
京都大学大学院 人間・環境学研究科修了 人間・環境学博士
早稲田大学高等研究所助教
ルネサンス期フィレンツェには、聖書と芝居、奇跡と外連、「ほんもの」と「にせもの」のるつぼがありました。職人たちは、知恵をしぼり腕をふるって問題解決に挑みます。…たとえば、イエスはいかに昇るのか。聖霊はいかに光るのか。マリアはいかに美しいのか。洗礼者の首はいかに落ちるのか。そして天使はいかに、飛ぶのか。
開催場所:
ハイアット リージェンシー 京都 地下1階Touzanバー
〒605-0941 京都府京都市東山区三十三間堂廻り644番地2
http://kyoto.regency.hyatt.jp/ja/hotel/our-hotel/map-and-directions.html
ご予約:
各回定員20名 参加料3000円(茶菓子付)
お申込みは、メールまたは電話にてお願いいたします。
電話番号: 090-6662-0360
定員になり次第、受付を終了させていただきます。
どうぞお早目のご予約を!ecoledetouzan@hotmail.co.jp
「理学療法士養成における実践的専門能力の形成」
平山 朋子
京都大学大学院
教育学研究科 博士後期課程 研究指導認定退学
藍野大学 医療保健学部 理学療法学科 助教
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リハビリテーションといっても、単に けがや病気のあとの身体機能を回復するだけではありません。今までと同じ生活がかなわないことは、それだけでストレスだし、人生の計画を変えざるをえないこともあるのだから、心のダメージは体以上に深いといえます。だから、理学療法士さんの果たす役割は計り知れません。
平山さんは、そんな理学療法士のプロジェッショナルを育成すべく藍野大学で教鞭をとっておられます。発表のなかで一番興味深かったのは、シミュレーション教育、リフレクション法の実例でした。まず、学生は、実習生役として模擬患者と面接や検査を行う。その様子がビデオで撮影される。その後、学生たちは、それを観たり、今度は患者役を体験したり、先輩のデモンストレーションを見たりする。すると、シミュレーション後には「意外とできた」とか「だめだ」とか、各々の感想を持っていた学生たちのいずれもが、「全然だめだ」ということに気づくのだそうです。
自分にも同じような経験があります。英語のプレゼンを練習する授業でのことでした。先生がビデオ撮影してくれたものを観ると、全然ダメなのです。英語が下手であるだけではなくて、体が揺ら揺らしている、上半身が傾いている、気持ち悪い薄ら笑いを浮かべている、自分の声が弱々しく自信なさげであるなど、見続けるのは結構苦痛でした。けれども、次に人前で話すときは、自分では強すぎると思うくらい声をはったり、語尾を少し強めに発音したりすることを心がけるようになったものです。
とにかく、シミュレーションは大事、そして、それを客観的に振り返るのはもっと大事です。「全然だめだ」と思えることは、次のステップへ上がるチャンスですからね。
さて、わたしたちは誰しも立場や場所は違うけれど、理学療法士の皆さんと同じようなことを多かれ少なかれやらねばなりません。子どもの体や心のことをいつも思いやっているお母さん、多かれ少なかれ何らかの悩みを持つ家族・友人・会社の同僚たち、私たちは、彼らと互いに喜怒哀楽を共有し、良くも悪くも支え合っています。「関係性の中で学ぶ」と言うのは、わたしたち皆に必要なことでしょう。あたりまえのことなのだけれど、それに気づくのは難しい、いや、気づいているのかな。わかっているけど向き合えない・・・よくあることです。そんなことを自分に問いかけることになる発表でした。
「芸術の検閲が意味すること」
田中 一孝
京都大学博士(文学)
京都大学高等教育研究開発推進センター特定助教
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猥褻裁判だとか、政治批判だとか、教育上よくないとかといった様々な理由で、芸術は規制をうけているのですが、田中さんの結論を先に言ってしまうと、
①「芸術とは人々を育む一方で危険な力を持っている」
②「芸術を検閲しようとする思考は、実は芸術が持つそのような力を高く評価している」
③「芸術を政治などから切り離して守ろうという思考は、芸術の力を制限するものである」
ということでした。(番号はブログ執筆者による)
ここで立ち戻らなければならないのは、やはり、そもそも「芸術」って何だろうということです。英語のartの語源はラテン語のarsアルス、ギリシア語のtechnéテクネー(英語techniqueテクニック)にあたり、「自然」に対する人間による「技」「技術」を意味します。秩序を司る神Artraや、アルメニア語で規則を示すard、つまり「適合する」という意味を持つインド・ヨーロッパ語の接頭語ar- のつく言葉に基づいているようです。(語源由来辞典http://gogen-allguide.com/a/art.html)この語源からすれば、アートは人の手になる技・技術であって、それは秩序とか規則に沿うものであるということがわかります。
では、アーティストとは?わたしたちは芸術家とひとまとめにしているけれど、とりわけ画家や彫刻家は、いわゆる現代的な意味でのアーティストではありませんでした。画家は絵の具を調合することから薬屋の組合に属していたし、彫刻家は石を切り出し細工するということで石工の組合に属していました。今の時代にまでその名が知られるレオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエロ、ミケランジェロなども、工房を経営する「親方」でした。それに、彼らは単に絵を描いたり石を彫ったりするだけではなくて、パトロンである王侯貴族の結婚式(だいたいが政略結婚)や凱旋パレードの演出、客間の室内装飾や武器の設計などにも携わっていました。したがってアーティストが作り出すものは、注文主の要望とさまざまな意図を確実に反映するものであらねばなりませんでした。
さて、アートは「美術」とも訳されますが、「プラトン先生」が、「人間の魂に浸透(内化)、価値観を形成する力を持つ」とした詩や音楽は「美しい」ものだったのでしょうか。そもそも「美」って何だろう?という問題もまた、「芸術と検閲」に関わっていそうです。英語だとbeauty、その語源となるラテン語はbellusベッルス/ベルルス、これは「善」を意味するbonumボヌムと関わっています。「美しいものは良きもの」なのか。そうなのでしょうか?漢字の「美」は、「羊」と「大」が組み合わさっていて、つまり昔の中国で「美しい」というのは「羊が大きい」ことを指していたと何かの本で読んだことがあります。時代によって、場所によって、「美」の意味はさまざまであったことがわかります。では、美しいものだけが魂に作用するのでしょうか。「醜」を体験することによってもまた、私たちの価値観は形成されます。
そこで、田中さんの結論を昔の芸術にあてはめると、注文主である王侯貴族や教会などの権威が、民衆を育み導く(あるいはコントロールする)ために利用されてきたのですから、危険もはらんでいます(①)。作品は、すべて注文品であったのですから、職人たちの技を見込んだうえで注文主の意図するものであるかどうか検閲が入っています(②)。したがって、わたしたちが展覧会で見ることができる昔の芸術品の多くは、注文主の権威や富の象徴だったわけで、政治・宗教・経済・文化などと切り離して考えることはできません。さまざまな制約や検閲にかかわらず、アーティストの才能は炸裂しました(③)。現代アートでは、鑑賞者が注文主にとってかわって、評価も一様ではありません。白熱する議論が、また別の問題を浮かび上がらせて、さらなる議論となることもあります。それが、SNSとかでグローバルに討論され、単に作品を観たり聴いたりして楽しむところから、議論そのものを楽しんでいて、世界中の誰もが、「芸術の検閲」にかかわっているようです。長くなりましたので、このあたりでおわりましょう。
最初は、田中さんのお話を「ふむふむ、そうだな」と聴いていましたが、そのうちに私の思考が、ちょっと動き出した気がします。日ごろ、新聞や本を読んだり、テレビの報道や映画を観たり、音楽を聴いたり、絵画や彫刻を観たりしているとき、その時々に心に浮かび上がっては、頭の隅っこに蓄積されてきた疑問や思いが、私にはたくさんあります。若手研究者の皆さんの発表を聴いていると、それらが引っ張り出されてきます。いくつかは、整理されてまた心の隅におさまります。いくつかは「芸術」や「美」の問題みたいに解決できないままだけれど、「プラトン先生」の言葉とか新しい解決の糸口をもらって、とりあえずまた心の隅においておくことにします。別の人のお話が解き明かしてくれるかもしれないし…
田中さんによると、ギリシア哲学というのは人生が定まらずにフラフラしている人に うってつけの学問らしいです。けれど・・・自分でプラトンやアリストテレスの著作を読むのは骨が折れるし、たとえ本を手に取ったとしても睡眠導入剤としての効果が絶大で、いつまでたっても数ページしか読み進めないものです。今、この散らかった文章を読んでくださって「そうそう」と思っておられる方、エコール・ド・東山に来てください。
今回、田中さんのお話のなかに出てきたバルテュスの作品は、まもなく関西にやってきます。「バルテュス展」京都市立美術館→http://balthus2014.jp/
今月のケーキ
ハイアット リージェンシー 京都のアイコンともいうべきスイーツ「ピエロ」のスペシャリテ。今回は、エコール・ド・東山のためだけに、初夏のフルーツ、マンゴーを使って特別に作っていただきました!見た目もかわいくて、でもちょっと不思議な形、美味しさは、言葉では表せません・・・。ケーキの説明を若いペストリーシェフにしていただきました。お客様の前での説明を突然に無茶ぶりしたにもかかわらず、堂々とわかりやすく説明してくださり、しかも丁寧な日本語、まさにプロフェッショナル。お菓子職人として技を習得し磨き、またホテルマンとして「関係性の中で学び」成長されて、現代的な意味での「アーティスト」として、これからもわたしたちが「うわぁ~っ」と喜ぶお菓子を作っていかれるのでしょう。
今月のお花
TOUZANバーって、こんなとこです