2014年06月

雨の少ない梅雨ですね。今日は、とてもすずしいです。
さて、次回エコール・ド・東山は、7月の京都、祇園祭の山鉾曳き始めの日、712日に開催します。二年目のしめくくり となるのは、その昔、イタリアの広場や教会の中で演じられた聖史劇について、そして、ブラジルの日系芸術家についてです。みなさまのお越しをお待ちしています。すでにたくさんのご予約をいただいております。ありがとうございます!後半は、6月の回の報告です。
 

はるか遠くの日本人日系ブラジル芸術の開化

都留 恵美里

京都大学大学院 人間・環境学研究科 博士後期課程

地球の裏側、日本から最も遠いところに位置するブラジルに、国外で最大級の日系人コミュニティがあります。そこからは、ブラジルの芸術史に影響を与え、名を残すような芸術家も現れました。今回は日系人芸術家の存在が広く知られはじめる50年代末に台頭する、トミエ・オオタケやマナブ・マベなどを中心に お話します。


奇跡と外連(けれん) ―聖史劇というスペクタクル―

杉山  博昭

京都大学大学院 人間・環境学研究科修了 人間・環境学博士

早稲田大学高等研究所助教

ルネサンス期フィレンツェには、聖書と芝居、奇跡と外連、「ほんもの」と「にせもの」のるつぼがありました。職人たちは、知恵をしぼり腕をふるって問題解決に挑みます。…たとえば、イエスはいかに昇るのか。聖霊はいかに光るのか。マリアはいかに美しいのか。洗礼者の首はいかに落ちるのか。そして天使はいかに、飛ぶのか。 


開催場所:

ハイアット リージェンシー 京都 地下1Touzanバー
605-0941 京都府京都市東山区三十三間堂廻り644番地2
http://kyoto.regency.hyatt.jp/ja/hotel/our-hotel/map-and-directions.html
ご予約:
各回定員20名 参加料3000円(茶菓子付)
お申込みは、メールまたは電話にてお願いいたします。
電話番号: 090-6662-0360
定員になり次第、受付を終了させていただきます。
どうぞお早目のご予約を!
ecoledetouzan@hotmail.co.jp

 ◇◆◇◆第18回(2014年6月14日)の報告◇◆◇◆

「理学療法士養成における実践的専門能力の形成」

平山 朋子

京都大学大学院 教育学研究科 博士後期課程 研究指導認定退学

藍野大学 医療保健学部 理学療法学科 助教

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リハビリテーションといっても、単に けがや病気のあとの身体機能を回復するだけではありません。今までと同じ生活がかなわないことは、それだけでストレスだし、人生の計画を変えざるをえないこともあるのだから、心のダメージは体以上に深いといえます。だから、理学療法士さんの果たす役割は計り知れません。

平山さんは、そんな理学療法士のプロジェッショナルを育成すべく藍野大学で教鞭をとっておられます。発表のなかで一番興味深かったのは、シミュレーション教育、リフレクション法の実例でした。まず、学生は、実習生役として模擬患者と面接や検査を行う。その様子がビデオで撮影される。その後、学生たちは、それを観たり、今度は患者役を体験したり、先輩のデモンストレーションを見たりする。すると、シミュレーション後には「意外とできた」とか「だめだ」とか、各々の感想を持っていた学生たちのいずれもが、「全然だめだ」ということに気づくのだそうです。

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自分にも同じような経験があります。英語のプレゼンを練習する授業でのことでした。先生がビデオ撮影してくれたものを観ると、全然ダメなのです。英語が下手であるだけではなくて、体が揺ら揺らしている、上半身が傾いている、気持ち悪い薄ら笑いを浮かべている、自分の声が弱々しく自信なさげであるなど、見続けるのは結構苦痛でした。けれども、次に人前で話すときは、自分では強すぎると思うくらい声をはったり、語尾を少し強めに発音したりすることを心がけるようになったものです。

とにかく、シミュレーションは大事、そして、それを客観的に振り返るのはもっと大事です。「全然だめだ」と思えることは、次のステップへ上がるチャンスですからね。

さて、わたしたちは誰しも立場や場所は違うけれど、理学療法士の皆さんと同じようなことを多かれ少なかれやらねばなりません。子どもの体や心のことをいつも思いやっているお母さん、多かれ少なかれ何らかの悩みを持つ家族・友人・会社の同僚たち、私たちは、彼らと互いに喜怒哀楽を共有し、良くも悪くも支え合っています。「関係性の中で学ぶ」と言うのは、わたしたち皆に必要なことでしょう。あたりまえのことなのだけれど、それに気づくのは難しい、いや、気づいているのかな。わかっているけど向き合えない・・・よくあることです。そんなことを自分に問いかけることになる発表でした。

 

「芸術の検閲が意味すること」

田中 一孝

京都大学博士(文学)

京都大学高等教育研究開発推進センター特定助教

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猥褻裁判だとか、政治批判だとか、教育上よくないとかといった様々な理由で、芸術は規制をうけているのですが、田中さんの結論を先に言ってしまうと、

①「芸術とは人々を育む一方で危険な力を持っている」

②「芸術を検閲しようとする思考は、実は芸術が持つそのような力を高く評価している」

③「芸術を政治などから切り離して守ろうという思考は、芸術の力を制限するものである」

ということでした。(番号はブログ執筆者による)

 ここで立ち戻らなければならないのは、やはり、そもそも「芸術」って何だろうということです。英語のartの語源はラテン語のarsアルス、ギリシア語のtechnéテクネー(英語techniqueテクニック)にあたり、「自然」に対する人間による「技」「技術」を意味します。秩序を司る神Artraや、アルメニア語で規則を示すard、つまり「適合する」という意味を持つインド・ヨーロッパ語の接頭語ar- のつく言葉に基づいているようです。(語源由来辞典http://gogen-allguide.com/a/art.html)この語源からすれば、アートは人の手になる技・技術であって、それは秩序とか規則に沿うものであるということがわかります。

では、アーティストとは?わたしたちは芸術家とひとまとめにしているけれど、とりわけ画家や彫刻家は、いわゆる現代的な意味でのアーティストではありませんでした。画家は絵の具を調合することから薬屋の組合に属していたし、彫刻家は石を切り出し細工するということで石工の組合に属していました。今の時代にまでその名が知られるレオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエロ、ミケランジェロなども、工房を経営する「親方」でした。それに、彼らは単に絵を描いたり石を彫ったりするだけではなくて、パトロンである王侯貴族の結婚式(だいたいが政略結婚)や凱旋パレードの演出、客間の室内装飾や武器の設計などにも携わっていました。したがってアーティストが作り出すものは、注文主の要望とさまざまな意図を確実に反映するものであらねばなりませんでした。

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さて、アートは「美術」とも訳されますが、「プラトン先生」が、「人間の魂に浸透(内化)、価値観を形成する力を持つ」とした詩や音楽は「美しい」ものだったのでしょうか。そもそも「美」って何だろう?という問題もまた、「芸術と検閲」に関わっていそうです。英語だとbeauty、その語源となるラテン語はbellusベッルス/ベルルス、これは「善」を意味するbonumボヌムと関わっています。「美しいものは良きもの」なのか。そうなのでしょうか?漢字の「美」は、「羊」と「大」が組み合わさっていて、つまり昔の中国で「美しい」というのは「羊が大きい」ことを指していたと何かの本で読んだことがあります。時代によって、場所によって、「美」の意味はさまざまであったことがわかります。では、美しいものだけが魂に作用するのでしょうか。「醜」を体験することによってもまた、私たちの価値観は形成されます。
 そこで、田中さんの結論を昔の芸術にあてはめると、注文主である王侯貴族や教会などの権威が、民衆を育み導く(あるいはコントロールする)ために利用されてきたのですから、危険もはらんでいます(①)。作品は、すべて注文品であったのですから、職人たちの技を見込んだうえで注文主の意図するものであるかどうか検閲が入っています(②)。したがって、
わたしたちが展覧会で見ることができる昔の芸術品の多くは、注文主の権威や富の象徴だったわけで、政治・宗教・経済・文化などと切り離して考えることはできません。さまざまな制約や検閲にかかわらず、アーティストの才能は炸裂しました(③)。現代アートでは、鑑賞者が注文主にとってかわって、評価も一様ではありません。白熱する議論が、また別の問題を浮かび上がらせて、さらなる議論となることもあります。それが、SNSとかでグローバルに討論され、単に作品を観たり聴いたりして楽しむところから、議論そのものを楽しんでいて、世界中の誰もが、「芸術の検閲」にかかわっているようです。長くなりましたので、このあたりでおわりましょう。

最初は、田中さんのお話を「ふむふむ、そうだな」と聴いていましたが、そのうちに私の思考が、ちょっと動き出した気がします。日ごろ、新聞や本を読んだり、テレビの報道や映画を観たり、音楽を聴いたり、絵画や彫刻を観たりしているとき、その時々に心に浮かび上がっては、頭の隅っこに蓄積されてきた疑問や思いが、私にはたくさんあります。若手研究者の皆さんの発表を聴いていると、それらが引っ張り出されてきます。いくつかは、整理されてまた心の隅におさまります。いくつかは「芸術」や「美」の問題みたいに解決できないままだけれど、「プラトン先生」の言葉とか新しい解決の糸口をもらって、とりあえずまた心の隅においておくことにします。別の人のお話が解き明かしてくれるかもしれないし…

田中さんによると、ギリシア哲学というのは人生が定まらずにフラフラしている人に うってつけの学問らしいです。けれど・・・自分でプラトンやアリストテレスの著作を読むのは骨が折れるし、たとえ本を手に取ったとしても睡眠導入剤としての効果が絶大で、いつまでたっても数ページしか読み進めないものです。今、この散らかった文章を読んでくださって「そうそう」と思っておられる方、エコール・ド・東山に来てください。
 

 今回、田中さんのお話のなかに出てきたバルテュスの作品は、まもなく関西にやってきます。「バルテュス展」京都市立美術館→http://balthus2014.jp/

 

今月のケーキ

ハイアット リージェンシー 京都のアイコンともいうべきスイーツ「ピエロ」のスペシャリテ。今回は、エコール・ド・東山のためだけに、初夏のフルーツ、マンゴーを使って特別に作っていただきました!見た目もかわいくて、でもちょっと不思議な形、美味しさは、言葉では表せません・・・。ケーキの説明を若いペストリーシェフにしていただきました。お客様の前での説明を突然に無茶ぶりしたにもかかわらず、堂々とわかりやすく説明してくださり、しかも丁寧な日本語、まさにプロフェッショナル。お菓子職人として技を習得し磨き、またホテルマンとして「関係性の中で学び」成長されて、現代的な意味での「アーティスト」として、これからもわたしたちが「うわぁ~っ」と喜ぶお菓子を作っていかれるのでしょう。

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今月のお花
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TOUZANバーって、こんなとこです 
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◆◇◆◇第17回(2014510日)の報告◆◇◆◇

更新がすごく遅くなりました。大変申し訳ありません。5月の報告です。

5月の回は発表者がお二人とも日本文学について話してくださり、重層的で濃い内容となりました。まず一人目の発表者である四方さんが、田山花袋の『蒲団』を中心に、日本近代文学の形成について話してくださいました。その次に、稲垣足穂の文学作品『弥勒』の世界観について旦部さんが話してくださいました。

告白と小説:田山花袋『蒲団』から紐解く日本近現代文学研究
四方朱子
京都大学大学院人間・環境学研究科 研修員 満期修了
京都大学学際融合教育研究推進センター 研究支援員/ 技術補佐員
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多かれ少なかれ私たちはみな馴染みのある「文学」。そこで四方さんは、まず、文学研究をするに至った彼女自身の少し特異な経緯を話してくださいました。

四方さんは高校をアメリカで卒業し、コーネル大学で天文学を専攻する理系少女でした。そこで偶然、明治期の文学の授業をとることになり、文学に開眼されたそうです。そして大学で知り合った先生の下で更に勉強するために、それまでのアメリカでの生活を後にして北海道大学に入学されました。驚くべき熱意と行動力です!

今回話してくださったのは、なぜこの『蒲団』という作品が、文学史的に無視のできない作品になったのか、ということです。

近代文学の特徴として、等身大の小説を求める傾向が挙げられます。このことには関しては、前回木島さんがディケンズ等のイギリス作家を通して詳しく話してくださいました。こうした傾向は、西洋社会の変化の中で芽吹いてきたものでしたが、明治維新以降鎖国を解いた日本は、こうした変化を急速に吸収しなくてはなりませんでした。近代の発明だとすら言われる「文学」は、西洋の伝統的な大学で教えられるようになったのも近代以降です。それに対し、日本では東京大学設立当初から「文学部」が設置され、戯作文学、政治文学、翻訳文学が教えられたそうです。

しかし今日「文学」といいますと、まずは小説を思います。これは明治期の文人、坪内逍遥の『小説神髄』以降、の傾向だそうです。それではどのような作家がどのような作品を執筆し、活躍したのでしょうか。坪内逍遥の著書に影響を受け、執筆されたのが二葉亭四迷の『浮雲』です。この作品には、読点はありますが句点はありませんでした。一見古風にみえる文体ですが、実は〈参った。〉や〈ある。〉という文末を使った初めての小説で、当時にしてはとても新しい手法を使って書かれているそうです。これは、二葉亭四迷が落語家の噺を聞き、その話し言葉から着想を得たものでした。そこから、より口語体に近い文体で書かれた作品が増えてくるようになります。しかし一朝一夕で変わったのかといいますと、そういうわけでもなかったみたいです。同時代の作家、森鴎外も当初の文語体から口語体に移行するまでに20年もの時間をかけたようですし、女流作家、樋口一葉も口語体を使って作品を執筆していませんでした。尾崎紅葉の『金色夜叉』では句読点の使用がみられるようになります(最近では、西洋文学に通じていた尾崎が、作品の構想をバーサクレイという大衆文学の作家に得ていたということが明らかになったそうです)。

それでは『蒲団』とはどのように位置づけられる作品なのでしょうか。この作品は初めて三人称で書かれた小説でした。しかしこの三人称が用いられるのは主人公、時雄にのみですので、実際には限りなく固有名詞に近い形で使われています。また、時雄の(ちょっと気持ち悪い?)妄想がかなり文字化されており、感情がここまで赤裸々に書き出されるのも初めてでした。

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この作品に登場する人物には、それぞれモデルが実在しました。そうしたことも含め、この作品はその執筆技巧以上に、作者の勇気が称えられました。作品は、作者の醜悪な内面や性欲などをさらけ出す場として捉えられるようになっていったのです。もちろん、世に名が轟くと、それを批判する人々も出てきます(ここでも前回の木島さんが話してくださったディケンズ批判が思い出されます)。

森鴎外の作品と並んで、こうした内面の暴露を称賛する評価がある一方で、でばがめ主義だという批判も現れます。しかし今日でも、作者というのは自身をさらけ出すものであるという考え方は残っています。むしろ今日問われるのは、『蒲団』で作者は本当に自身を曝け出したのだろうか、どこまで本音であったのか、あるいは意図された計算のもとに描き出された内面ではなかったのか、という観点になっています。

四方さんの発表を聞きながら「内面」というものの捉えどころのなさに思いを馳せていました。また、だからこそ同じ作品を読んでいても、時代により解釈や疑問点が異なり、小説をはじめとする文学は私たちの心を捉えてやまないのでしょう。

『弥勒』にみる稲垣足穂の世界
旦部 辰徳
京都大学大学院 人間・環境学研究科 博士後期課程在籍
京都造形芸術大学 非常勤講師
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旦部さんのお話は、四方さんによる文学全体のお話から、少しコアな話に移行していきます。

旦部さんは稲垣足穂という作家の『弥勒』を中心にお話してくださいました。稲垣足穂は、一般にはとても有名というわけではありませんが、三島由紀夫をはじめとする文学者たちから絶賛されていた作家です。

まずは、稲垣足穂の文学系列や遍歴についてお話してくださいました。モダニストとしての足穂の代表作は『一千一秒物語』(1923年出版)です。これは言わずもがな、『一千一夜物語』から着想を得ています。しかし、着想は話の内容ではありません。一千一夜という長い長い時間に対する、短さの賛美としての「一千一秒」です。この『一千一秒物語』に収録される一話は、それぞれ一秒にも満たないような超短編なのです。

それでは、稲垣足穂はどういった経緯でこうした作品を書くようになったのでしょうか。『一千一秒物語』の執筆時期は、モダニズム文学、既成リアリズム、プロレタリア文学という対立の構図が鮮明になってきた時期でした。当時の足穂の立ち位置としては、新感覚派、つまり「モダニスト」であったといえます。『一千一秒物語』からも分かるように、稲垣足穂の作品の特徴は「ナンセンス」です。近代文学の主流であったリアリズムのなにか教訓めいた物語や、当時を席巻していたプロレタリア文学とも一線を画しています。こうした足穂の方向性は、彼の少年期をモダンな街神戸で過ごしたことによっても育まれましたが、何よりも決定的となったのが関西学院時代の未来派との出会いでした。足穂はたまたま図書館で開いた本で「未来派宣言」を知ります。挑発的な文章と、機械文明に対する賞賛に、もともと自動車や飛行機などの最先端技術に興味のあった足穂は強い共感を覚えました。足穂は第一次世界大戦後のモダニズム、シュールレアリスムの大きな潮流の中に位置づけられます。特に、初期の作品群はこうした影響が明白なものが多いそうです。

しかし、足穂は単なる模倣者ではなく、独自性をもった作家でもありました。それは、同時代のモダニズムの流れをくむ文学者と比較することにより明確になります。モダニズム文学は、流行りはじめた大正時代から昭和の時代に入っていくにつれ政治色が強くなっていきます。自国にそぐわない表現が規制される中で、モダニズム文学者たちは、東洋的、日本的なものを書く方向に舵を切りはじめました。しかしながら、足穂はそういった方向に進みませんでした。足穂の精神の独自性は、足穂の「逸脱性」にあるという評価もあるそうです。そして、その独自性を貫いた作家としての真骨頂が『弥勒』という作品だというのです。

旦部さんは今回の発表で、この『弥勒』に注目することにより、足穂の独自性を理解する鍵を提供してくれました。映画化は難しいというのが定説であったなか、去年撮影された映画『弥勒』の映像に沿って、いろいろお話しくださいました。

『弥勒』は足穂の半自伝的な小説です。二部構成になっており、第一部で足穂の自身を投影したような人物である江美留の作家になるまでの希望と幸福に満ちた青少年期が未来派風の幻想的な形で描かれています。第二部では、挫折と極貧生活、そしてその中で哲学的思索の末、自らが弥勒であると意識するまでの江美留が描かれています。当時この第一部と第二部はそれぞれ別の作品として出版されたそうです。

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東洋的なあるいは日本的なものへと思想の統制が傾いていた中、未来派的な西洋的モチーフから東洋的な〈弥勒.〉へと転換がみられるものの、西洋モダニズム的なその内実は変わっていません(また、足穂は幼いころから車などのスピードを出す乗り物などが大好きでした)。本作品でも常に弥勒の運動的な効果が描き出されています。時空や時代を飛び越えて物語は展開され、目の前で起きていることは遠い昔において終わり、また新たに始まったことである...といった世紀末感覚が描かれています。一個人の未来と過去だけではなく、更に長大なスケールの未来と過去が交差しながら物語が進んで行くのです。567000万年後の世界を、今のこととして感じる感覚、それこそが『弥勒』の世界なのです。この時点で私は、旦部さんのお話を聞きながらもはや登場人物の江美留の話を聞いているのか、足穂自身の葛藤を聞いているのかわからなくなってしまっていました。もちろん半自伝的ですし、こうした困惑自体、足穂の思惑や運動の中で踊らされているのでしょうが...。それこそお話を聞き終わった時には、長いような短いような、なにか不思議な時空を旅してきたような錯覚に陥って、地に足がきちんと着いていないような感覚になってしまっていました。

スピーカーを囲んで茶話会

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今月のケーキ

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今月のお花 

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